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福岡高等裁判所 昭和54年(ネ)368号 判決

控訴人

金原政吉

右訴訟代理人

田中義信

被控訴人

加茂清香

右訴訟代理人

鶴丸富男

津留雅昭

主文

一  原判決を取消す。

二  被控訴人は控訴人に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五二年六月一八日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実

一  控訴人は主文同旨の判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  請求原因

(選択的主張)

1  被控訴人は別紙手形目録記載の約束手形一通を振出した。そうでないとしても、被控訴人は夫である訴外加茂武男に対し、同人が宝石商を行ううえで、手形金額、振出日、満期など手形の内容を予め指定せず、同人の裁量により直接被控訴人名義で手形行為をなす代理権限を与えていたところ、同訴外人は右代理権に基づき別紙手形目録記載の約束手形一通を振出した。

2  控訴人は右手形の所持人として、これを満期日に支払場所に呈示したが、支払を拒絶された。

3  よつて、控訴人は、被控訴人に対し右手形金一〇〇万円及びこれに対する満期日の翌日である昭和五二年六月一八日から支払ずみまで手形法所定の年六分の割合による利息の支払を求める。

(予備的主張)

4 仮に以上の主張が認められないとしても、被控訴人は夫である訴外武男が、かつて自己名義の銀行預金口座をもち自己名義で手形を振出していたところ、不渡手形を出したことによりこれができなくなつたため、同人に被控訴人名義での手形取引の便宜を与えるべく、被控訴人において株式会社親和銀行塩原支店に被控訴人名義の当座預金口座を設け、約束手形用紙の交付を受けて、これにより武男をして直接被控訴人名義で約束手形を振出すことを許諾していたものであり、本件手形は武男により右許諾に基づいて振出されたものである。そして、右手形を手形割引のため武男から交付を受けた訴外畠井利久は、武男を被控訴人本人と誤信し、更に右手形の交付を受けた控訴人本人も本件手形は被控訴人によつて振出されたものと信じ、手形割引に応じたのである。

したがつて、被控訴人は自己の氏名を使用して絶対的商行為である手形行為をなすこと、即ち営業をなすことを他人(訴外武男)に許諾したことになるので、武男から畠井利久を介し、手形割引のため右手形の交付を受けた控訴人に対し、被控訴人は商法二三条(名板貸の責任)により右手形金を支払う義務がある。

5 仮に本件手形の振出行為が営業行為に該当しないとしても、商法二三条の趣旨を準用して、武男に被控訴人の氏名を使用して手形を振出すことを許諾した被控訴人は、本件手形の外観を信頼してこれを取得した善意の第三者である控訴人に対し、やはり手形上の責任を負担すべきである。

6 また、武男に本件手形を振出すにつき代理権がなかつたとしても、被控訴人は少くともこれにより以前に数回、武男に対し、畠井利久あてに被控訴人名義で手形を振出す代理権を与えていたものであり、したがつて、控訴人は本件手形の振出についても武男に権限があると信じ、そう信ずるにつき正当な理由を有していたのであるから、表見代理の法理により、いずれにしても被控訴人は本件手形上の責任を免れることはできない。

三  請求原因に対する認否及び被控訴人の主張

1  請求原因1ないし6の事実はすべて否認する。

2  本件手形は被控訴人の夫である訴外加茂武男が商品購入の便宜のため被控訴人に無断で作成し、保管中のものを盗まれたものである。

また、仮に武男に手形振出行為があつたとしても、それは自己の名前か「加茂清香」であるとしてなしたもので、代理行為としてなされたものではない。

3  控訴人の商法二三条(名板貸の責任)その他の予備的主張は、控訴人の故意又は重大な過失により、時機に遅れてなされたものであるから却下さるべきである。

即ち、原審における第一回口頭弁論期日は昭和五二年八月三〇日に開かれたが、同一裁判所に基本的事実関係を同じくし、争点を共通にする別件の約束手形金請求事件が係属しており、右別件の審理をまつて、これとともに昭和五三年一二月二六日一旦終結となつた。控訴人は被控訴人の責任原因として「被控訴人は訴外武男に対し被控訴人名義で手形を振出すことを許容していた」と述べ、本件手形が代理行為により振出されたものである旨主張するにとどまつていたところ、原審裁判所は控訴人の右主張を不十分と考えたのか、弁論を再開したが、再開後の弁論期日においても、控訴人は右「許容」の趣旨は「代理権限」を与えていたことであると述べ、新たな主張はしなかつた。そして、控訴審に移つた後も、控訴人は昭和五四年九月三日付準備書面で従前の主張を補充するのみで、新規の主張はなさず、裁判所の主張補完の催促を受けて提出された同年一一月一九日付準備書面も、前同様の主張を繰返すのみであつた。そこで、裁判所は弁論を終結し、判決言渡を同年一二月二四日と指定していたところ、控訴人はその直前に至つて弁論の再開を申立て、再開後の昭和五五年一月三一日の弁論期日において、はじめて名板貸その他の予備的主張をするにいたつたものである。

かくのごとく、控訴人は本訴提起以来一貫して代理の主張をしてきており、原審及び控訴審における再三の主張補完の釈明にも応えぬまま結審をみたのに、またまた弁論再開の機会を得て、やにわに新主張を提出するに至つたもので、これが時機に遅れたものであることはいうまでもなく、しかも右新主張は原審の初期の段階においてすら提出に何らの支障もなかつたのであるから、その遅延は控訴人の故意か、少くとも重大な過失に基づくものというべく、また、これが訴訟の完結を著しく遅延させることも明白であるから、控訴人の右予備的主張は民訴法一三九条二項により却下されるべきである。

4  控訴人は、商法二三条の適用またはその準用により、被控訴人が名義貸与者としての責任を負うべき旨主張する。しかし、同条にいう「営業」とは継続的な事業を営むことを指すのであつて、単に手形行為をなすことはこれには含まない。

仮に、手形行為についても商法二三条の適用ないし類推が肯定されるとしても、本件の場合、被控訴人は時々夫武男の頼みによつて、小切手等を被控訴人名義で振出すことを許諾していたことはあつたが、それらはその都度個々に承諾したうえで被控訴人が保管の銀行印を押捺してやつていたものであり、武男に対し、手形、小切手振出しについて包抱的な名義使用の許諾を与えたことはない。

しかも、控訴人は訴外島本秀雄らの仲介により過去においても「加茂清香」名義の手形等で武男に融通をしてきておりその当時は勿論、本件手形の割引依頼を受けたときも、右島本ないし控訴人においては「加茂清香」は右武男自身であつて、同人が自己の名義で手形を振出したものと認識していたのである。即ち、控訴人らは「加茂清香」なる名称をもつ武男を本件手形の債務者として取引をなしたもので、右武男のほかに「加茂清香」なる人物が実在し、その者が本件手形の債務者であるとの認識は全くなかつたのであるから、そこには商法二三条にいう「営業主なりと誤認して取引」をしたという事実自体がないのである。

仮に、そうでないとしても、振出の名義人に一度の問合せもなく、何らの事業を営むでもなく資産とてない被控訴人を手形債務者と誤信した点は重大な過失があるというべきである。

5  本件手形は、武男が融資を得る目的で、控訴人に割引いてもらつたものであるが、後日、武男は控訴人の代理人として請求に来た畠井利久に対し手形金相当額を支払い弁済ずみである。

四  被控訴人の主張に対する控訴人の認否

被控訴人の前記各主張はすべて否認する。

五  証拠〈省略〉

理由

一控訴人が別紙手形目録記載のような手形要件の記載のある約束手形一通を現に所持していることは、本件手形である甲第一号証の表面の記載と同手形が控訴人の手中に存在する事実から、これを認めることができる。

二そして、〈証拠〉を照らし合わせると、次のような事実を認めることができる。

1  被控訴人の夫である加茂武男は、かねてより宝石商を営んでいたが、昭和五一年一〇月頃不渡手形を出し、銀行取引が停止されたため、その取引に手形、小切手等を利用できず不都合を生じていたところから、その後間もなく、被控訴人において右武男の仕事の便宜をはかるため、株式会社親和銀行塩原支店に被控訴人名義で当座預金口座を開設し、武男が必要とするときは右取引銀行の手形用紙等を使用して直接被控訴人名義でこれを振出し、利用させていた。

2  本件手形(甲第一号証)は、武男が仕事のうえで資金繰りに窮したところから、昭和五二年四月一七日頃、支払地・福岡市南区、支払場所・株式会社親和銀行塩原支店の記載のある被控訴人の右取引銀行の手形用紙に、右武男が金額欄に一〇〇万円、支払期日に昭和五二年六月一七日と記入し、振出人欄には被控訴人の住所・氏名の記載のあるゴム印を押捺し、その名下に加茂なる印鑑を押捺してこれを作成し(ただし、受取人欄は白紙)、知合いの畠井利久、島本秀雄らにその割引の仲介を依頼して交付したものである。

3  本件手形は右畠井、島本らの依頼により控訴人によつて割引がなされたが、控訴人はこれよりさきやはり武男が同様の方法で振出した被控訴人名義の約束手形数通を割引いており、右畠井らから依頼を受けたとき資金不足のため訴外安原基鎬に回した金額七〇万円の手形(甲第二号証)を除き、それらは何らの支障もなく決済されていた。

4  そして、これらの手形の被控訴人の氏名「加茂清香」が男性の名前と紛らわしいところから、直接その交付を受けた右畠井、島本らは、右武男が前記親和銀行に当座預金口座を有する被控訴人「加茂清香」であり、同人が自己名義で手形を振出しているものと誤信しており、更にこれらの手形を割引いた控訴人においても同様に誤信していた。これに対し、武男において「加茂清香」が同人の妻の名前であることを明らかにしたふしはない。

以上のような事実が認められ〈る。〉ことに乙第一号証において被控訴人は、右当座預金口座は自分で呉服の商売をするために設けたもので、武男にこれを利用させ、被控訴人名義で手形等を自由に振出すことを許諾したことはないと供述するが、右武男が不渡手形を出し銀行取引が停止になつて間もなく、被控訴人が右預金口座を開設したこと、その後、被控訴人が自ら商売を行い、これを行おうとしたと認められる形跡が全くないこと、武男によつてかなりの数の手形・小切手が振出されたふしがあるが、本件手形及び前記甲第二号証の手形以外は何ら事故なく決済されていることなどに鑑みると、右供述記載をそのまま措信することはできない。

三そして右認定の事実関係からすると、被控訴人が自ら本件手形を振出したものでないことは明白であり、その夫である武男が被控訴人の許諾のもとに被控訴人名義をもつてこれを振出したものと認められるが、右武男は自己の商売の資金繰りのために同手形を振出したものであつて、その振出に際し、特に被控訴人に対し手形金額、満期日、その他の手形要件等につき相談したり、了承を求めたりなどした形跡もないことからすれば、武男が被控訴人のために、その代理人として、あるいはその機関としてこれを振出したものとは認めがたく、控訴人のこれら選択的主張はまず採用できない。

四そこで、名板貸その他の予備的主張について検討することになるが、被控訴人はまずこれらの主張が時機に遅れた攻撃防禦方法として民訴法一三九条二項により却下さるべきものと主張する。そして、本件記録によれば、訴訟の経過はほぼ被控訴人の主張するとおりであり、控訴人の右予備的主張が時機に遅れたと非難されてもやむを得ない段階に至つてなされたことは否めないところである。しかし、その主張内容は従来のものと法律構成を異にしてはいるが、基礎となる事実関係は殆ど同一であり、改めて証拠調べをする必要もなく、したがつて特に訴訟の完結を遅延させることもないと判断されるので、被控訴人の右主張は未だ採用できない。

しかして、被控訴人は前示のように武男がその宝石商を営むうえで仕事の便宜をはかるため、取引銀行に当座預金口座を開設し、同人に被控訴人名義で手形を振出すことを許諾していたものであり、手形行為そのものは絶対的商行為ではあつても、それ自体営業とは直接関係がないので、本件手形の振出しに営業をなすことの許諾を前提とする商法二三条の名板貸の責任に関する規定をそのまま適用することはできないにしても、やはり自己の氏名を使用して手形を振出すことを他人(本件では夫武男)に許諾している以上、名義貸与者である被控訴人が手形行為者であるとの外観を信頼した善意の手形取得者に対しては、商法二三条の類推適用により、右手形を振出した武男と連帯して手形上の責任を負担することになるのはやむを得ないものというべきである。

もつとも、被控訴人は前記事実関係から、本件は控訴人が右武男の氏名を「加茂清香」と誤認したにすぎず、被控訴人を商法二三条にいう「営業主なりと誤認して取引」をした事実がないと主張するが、控訴人ないし前記畠井らは、右武男を親和銀行塩原支店に預金口座を有する被控訴人であると信じ、その銀行取引の当事者である被控訴人自身が本件手形を振出しているものと誤認していたこと前記のとおりであり、右主張は採用できない。

更に、被控訴人は本件手形を被控訴人自身の振出にかかるものと誤信したとすれば、控訴人に重大な過失があると主張するところ、控訴人において被控訴人に対し一度も電話その他により直接本件手形の振出しを確認した事実のないことが弁論の全趣旨から窺われるが、本件手形を取得する以前に、控訴人が同様武男振出しの被控訴人名義の手形をすでに数通取得しており、これらがいずれも支障なく決済されていた前記事実に照らすと、右確認をしなかつた点をとらえて直ちに重大な過失とするのも相当でない。

五しかして、〈中略〉甲第一号証の裏面部分及びその付箋部分に、右甲第一号証の表面の記載を照らし合せると、本件手形を取得した控訴人は、同手形の受取人欄に自己の氏名を補充するとともに、その取立のため訴外信用組合福岡商銀八幡支店に裏書譲渡したところ、同支店は満期日にこれを支払場所に呈示したが、支払を受けることができず、その後、控訴人においてこれを受戻していることが認められ、この点他に格別の証拠はない。

六また、被控訴人は右武男がその後控訴人の代理人である畠井利久に対し手形金相当額を支払つた旨主張するところ、その点について何らの証拠もなく、右主張は採用できない。

七してみると、本件手形金一〇〇万円とこれに対する満期日の翌日である昭和五二年六月一八日から支払ずみまで手形法所定の年六分の割合による利息の支払を求める控訴人の本訴請求は理由があり、これを認容すべきである。

そこで、これと結論を異にする原判決を取消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(矢頭直哉 権藤義臣 大城光代)

手形目録〈省略〉

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